旧街道
朽ちた柳の葉が、足下で微かに乾いた音を立てた。
樫の都へ続く街道の内、二つは近年整備が為された新道、そして残りの三つは旧街道として寂れつつも利用されている。
この柳の街道もそういった打ち捨てられた旧街道の一つであり、下草は伸びたそのままに、踏み固められていた路床は今や街路樹の若枝に蹂躙されていた。
今やほぼ人通りの無い道ではあるが、時折、新道を知らぬ旅人はこの道を選んでやって来る。
その剣客はそういった手合を狙う夜盗の端くれであり、旅人の血肉をもって刃を鍛えんとする者の一人であった。
三度笠は旅人風を装い、そして顔を隠すために、足元の草履の裏地には足音を殺す仕掛けがある。
刀の刃は浅く反り、表裏揃いの刃紋が揺らぐ波のように刃を飾っていた。
その日は特に人通りが無く、遂に日が落ちるという頃合いまで来ていた。
今日ばかりはもはや誰も通る事は無いだろう、そう判断し、引き上げようかとした時、微かな足音が風で運ばれてくる。
日は既に山脈の彼方へ傾き、その橙色の光を燃えるような赤に染めつつある。
緩やかな流線形を描く道ですら数歩先は闇に呑まれ、見通すのは困難を極めた。
(足音から察するに……一人、歩幅は長い、……長身か)
数歩ずつ、足音が迫ってくる、機を見計らい、相手の視界に入らぬよう、様々な思考を絡め、獲物の接近を待つ。
橙色の陽光が対象を照らし出す。
旅人としては平均的な装備品、路銀はそれほど期待出来ないだろう。
もう一歩、旅人の下駄が朽ちた柳葉を踏みつける。
まだあと数歩。
一歩、衣擦れの音がすぐ傍まで迫る。
あと一歩。
旅人は機をずらすように微かに止まり、もう一歩を踏み出す。
刹那、剣客は大きく踏み込み、中段に刀を振るう。
捉えきれぬ程の速度で放たれたそれは付近を無差別に切り裂き、下草を儚く散らす。
旅人の血肉とてそれは例外ではなく、刀身はそれを裂くかに見えた。
「!!」
しかし、刀は歪んだ金属音を立て、旅人の間合から弾かれる。
――剣士、それも即座に抜ける程の手練れ。
抜かれた刀が微かに光を反射し、街道の闇をその刃に映し出した。
剣客は笠の下に笑みを貼り付け、刀を構え直す。
間合いを悟らせ難い構え、"陽の構え"とも呼ばれるそれは奇襲、後の先に向いた物だ。
旅人は大儀そうに刀を持ち直し、剣客に目線を向けた。
「今ならまだ気の迷いって事にしてやるけど?」
旅人は刀をゆらりと持ち直し、油断なく言い放った。
その刀は陽光をほとんど反射せず、夜の闇に溶けるような漆黒をしている。
視界で捉えるには難しく、今まさに日の落ちる中では有利に働くだろう。
一瞬だけ、考えるような素振りを見せ、剣客は無言で下段から斬りかかる。
「っと」
事も無げに旅人は下段からの斬りを刃で弾き、返す刀で斬りつける。
剣客は寸での所で大きく身を翻し、刃の一撃を避けた。
柳の葉が散り、刃が空を斬る鋭い音が鳴り響く。
それと同時に剣客は強く前へ踏み込み、旅人の懐を斬り裂こうと迫る。
旅人は一瞬虚を突かれたように動きを止め、その斬り上げを小さく飛び退き避ける。
斬り上げた動きから、袈裟懸けに振り下ろされる刃を横に躱し、笠の下の顎を強かに殴り飛ばした。
「ッ、ぐ!?」
脳が大きく揺れる感覚に呻き、剣客が姿勢を乱す。
その間を逃さず、旅人の漆黒の刀身が三度笠を切り裂いた。
浅い。
乾燥した菅笠が割れ、剣客の面が晒される。
それ程歳も行っていない、おそらくは17だかその辺り。
歳の割に腕は良いが、それゆえの驕りもあるだろう。
頭を殴られるのは想定外だったのか、はたまたこれまでに経験は無かったのか。
崩れた姿勢には最早隙ばかりが残っている。
日は更に沈み、赤から紫に、最早光源としての役割も果たさない程に弱くなっていく。
剣客は小さく舌打ちし、旅人を突き放すように刀を前へ突き出す。
しかしその狙いは精確とは言い難く、容易く横に避けられてしまう。
逃げるか、このまま殺すか、そういった選択が脳裏を駆け巡る。
この旅人はこれまでの辻斬り稼業からすれば、類を見ないほどの手練れだった。
このまま戦い続ければおそらくは、負ける。
剣客の思考が逃走へと傾き始めたその時、旅人は素早く刀を振り下ろす。
回避の行動を取ろうと、身を捻るが追いつかない。
右目、右肩、そして脇腹に掛けてを刃が撫で付け、鮮血が散った。
時間にして秒も思考はしていなかったが、逃走経路が頭を巡った時点で敗北は決定していたのだろう。
剣客は遂に指先から刀を取り落とした。
「雑魚が。調子乗りやがって」
吐き捨てるように言い、旅人は取り落とされた刀を街道の彼方へ蹴り飛ばした。
樹にぶつかり刀が渇いた音を立てる。
出血で視界の半分が潰れた剣客は呻き声を上げ、何事か抗議の声を上げようとするがかなわない。
「死にやしないよ、ま、動き回ればどうか判んないけどな」
切り裂いた腹を蹴り飛ばすと、口の奥から血を吐き出した。
鉄錆の味が舌を汚し、何事か言いかけた口を更に塞ぐ。
死にかけの虫のように微かに動くそれを、旅人はけらけらと笑い飛ばした。
右目はもう駄目だろう。
いっとう傷が深い。
引き抜かねば腐り落ちる。
肩の傷はそれほどは深くない、刀を振るには不足にならない。
脇腹もおそらくは時間が解決するだろう。
が、今は深く裂けている。臓物がこぼれ落ちていないのは幸いか。
血でぬめりを帯びた懐を、左手で漁り、目的の物に手を伸ばす。
使う事も無いだろうと忍ばせていたそれは白木の柄を持つ短刀だった。
旅人が柳の木の下に蹴り飛ばそうとしたその時、剣客は懐の短刀を無理矢理左手で振り抜いた。
「おっと」
「ッ!!くそ……」
短刀はむなしく空を切り、剣客は更なる出血に歯噛みした。
思わず脇腹を押さえるが、乱暴な手つきでは止血する効果はなく、ただ裂けた腹の肉を弄ぶだけとなってしまう。
加減を誤った自分に舌打ちしつつ、次の一手を打とうとするが、短刀を持った手を踏みつけられる。
思考が纏まり難くなり、いよいよ死期がすぐ後ろまで迫ってきているのだろう。
「ったく、動かなきゃ死なないって言ってんのに……」
最初と同じように、大儀そうに旅人は言い放ち、刀の峰で頭を殴りつけた。